2017/08/03

鍵盤奮闘記(後編)

時折、私は家族に対して「俺は天才だから」と豪語しておりますが、別に特出した才能を持っているわけではなくて「地味な努力を続ける事を苦に感じない」という天才なのであります。

だから最初から何でもできるのではなくて、地味な経験を繰り返して積み上げてきたのが今の状態なわけで、それを真似て根拠も無く「私は天才だから」とドヤ顔をする娘を見ると、その不細工な顔面に伝説の「右」を食らわせてやりたくなります(しかもコークスクリューのやつ)。

話がそれましたが、一度消した楽譜のドレミを全て書き直し、再度挑戦を始めたところであります。

ピアノを始めた理由は憧れもありましたが、今まで視覚だけに頼ってきた創造性というか表現力みたいなものをもっと広げたいという部分もあります。以前、講習会の時に巨匠が「アクアリウムは視覚の世界だから」と言ったのを聞いて、越えるならこの部分かなと思っていました。

だからといって古き良きB級時代のADAみたいに水槽の前で音楽を流すとか、スピーカー付の椅子に座るというのではなく、水槽内のビジュアルに音楽の感覚を組み込むというか…う~ん、文字では表現できないかも?

例えばアシタカは特定のレ・ミ・ラ・シの四つを半音下げて弾く事によって曲調を作っているわけで、 そんな事で個性を決める事ができるのってスゴイなと思うんです。だからアクアリウムも特定の何かを変化させれば華やかさとか、渋さ、喜怒哀楽みたいなある程度の表現を安定して表現できるんじゃないのかなと?(草の色とか種類で表現するよりも、もっと深い部分での話)

家族からはオヤジの気まぐれ趣味と思われているようですが、私の遊びは全てアクアリウムに通じているわけで、やっぱり自分もアクアリウムマニヤなんだなと改めて思うのです。