2016/10/17

ホテル=カレー

24日の臨時休業は文化祭の代休によるものなのですが、子供たちが「文化祭に来ないでくれ」と言っている。

娘はどうでもいいとして、息子までもが言い出すとは。その理由は作品の出来栄えに自信がないってな感じだと思うのだが、俺にとってそんな事はどうでもいいし、行かなくていいというのならありがたくその時間は家で休ませてもらう。

仮に賞でも獲ったというのなら「来るな」とは言わなかったのだろうか?賞が欲しけりゃ審査側の求めているように描けばいいだけ。俺は全国民で審査するなら別として、一部の審査員だけで決められるような品評会は好きではないのだ、だから金賞を獲ったとしても俺から褒める事はないだろう。

俺が褒めるとしたら心底からその作品作りを楽しんだのであればそれでいい、例え人に見せられないような酷いものだったとしても、俺にとっては金賞だ。楽しめたのであれば誰かに見られたくないなんて決して思わない、だから見るなという絵を評価する気にはならない。

正確なパースを描き、光線の明暗を書き分け、人物には躍動感を加える。それを秀逸な児童絵画だと定義した大人はクソだ。自分の価値観を「賞」という名の媚薬で子供達に植え付ける。
子供達はいつから水やガラスを「青」で描くようになるのだろう?水の色は川底で揺らぐ水草、群れで泳ぐ魚たち、時には黒ずんだヘドロの色。ガラスの色は窓の向こうにいる家族の服、太陽が反射した眩しい光。なのに子供達の描くそれらはいつも「青」一色。

大人が余計な固定観念を植え付けなければ子供達の描く「水の色」は無限の広がりを魅せてくれるだろう。俺達が忘れかけていた無垢の色彩感覚と表現方法を思い出させてくれるに違いない。

さぁ息子よ、筆を取れ。一つだけアドバイスをするなら被写体になってくれた全ての物への感謝を絵に込めてみてはどうだろう?