2015/12/07

最近の工作

近所の消防仲間が「ダイソーでコレ売ってたんで作ってみたんです」と。そして俺にも作ってみてほしいと。木の板にプレスで抜かれたパーツを組み立てるクラフト、小学生の頃に恐竜の骨格シリーズをよく作っていたなぁ。たしかに100円のわりには細かいパーツまで再現されていて面白そうである。
しかし、このクラフトの最大の欠点はこの「絶望的なカッコ悪さ」でございます、私に作ってほしいという事はそれなりの展開を求めているという事なんでしょう。つまり…
こういう事だろうと。これが同じキットから作られたモノだと誰が思うでしょうか?今まで「提供側の理念に囚われないパーツ利用法」はミニ四駆で鍛えられてきましたので、これぐらいの創作は朝飯前でございます。
今回の工作の中で自分なりに決めたルールがあります。まずはキットに含まれているパーツだけを使用すること、過度な加工は控えること、そして「クラフト感」をしっかりと残すということ。
カスタムされたものは、その原型が想像できるものでないとつまらないものになってしまいます。木製のパーツなんて加工すればどんな形にもできるし、リューター使えばタミヤのプラモデルぐらいのクオリティにだってできるでしょうが、そんな事だったら最初からタミヤ買えばいいって話。
バイク(ハーレー)には「カッコ良く見える方程式」があるので、それを守れば誰が作ってもそれなりの姿になります。それを踏まえながら要所をあえてハズしていくとこのようなウカツなクラフト感を残す事ができるのです。
これがタミヤのスケールモデルなら究極は限りなく実車に近いということになるので、究極に近づくほど誰が作っても同じになるのです(塗装やカスタムをするなら別ですけど)。

何が言いたいのかというと、アクアリウムにも同じ事が言えるのです。何かの頂点を目指そうとすると誰が作っても同じになるというのは最近よくある事象で、ストレスを感じている人も多いかと思います。私はアクアリウム界でハズシが出来る人にほとんど出会った事がありません、ハズシのないアクアリウムは一見は良く見えますけど面白さは全く無く、最後は嫌気すら感じてきます。

バイクの印象はフレームとフロントフォークの角度でほとんど決まります、その解釈は三尊石組と同様です。「引き算をしたもの」と「不足しているもの」は完全に別物です、基本が未熟な人ほど手法を崩そうとしますが、そういう人は一生上達することはありません。

天才ほど努力するというのはそういう事でございます。