2015/12/24

夜中にサンタが来たと思ったらナマハゲだったぐらいのショック

毎年何かが起こる我が家のクリスマス。ご希望のプレステポータブルも届いているのですが、残念ながら今年は息子の生活態度があまりにも悪かったためサンタさんはまだやって来ません。冬休みの宿題が終り次第贈呈ということにしました。もはや夢も希望もありませんが、最終的には希望のモノが手に入るわけですから、俺の地球大紀行よりはマシだと思います。

今回の冬休みの宿題については娘も含めて全て私が監修することにしました、それまでは勉強やしつけに関しては一切関与しておらず、面倒くさいというのもあるのですが子供にとって監督は一人だけであるべきだと考えるからです。
ありがちな話ですが、母親の注意を聞かない娘に対し最後に「お父さん何か言ってくださいよ!」なんていう展開がありますが、それまで何も関わっていなかった人間がいきなり最後の審判を下すなんてのはおかしな話で、当事者(娘)はそれで納得することができるのでしょうか?
父親と母親とでは必ず見解が異なるので、双方が同じ事に関わると必ず矛盾が生じます。複数の人間から自分にとって有益な事だけを吸収するなんて私でさえも30歳超えてからようやくできるようになったぐらいですから、子供はさぞ混乱することでしょう。
監督が5人いる野球チームなんて絶対に勝てませんよ、バントなのかエンドランなのか、打つのか打たねぇのかどっちなんだよと、そういう事です。だから監督は一人でいいんです。

どういう理由なのかは知りませんが、最近の学校はいかに効率よく答え(結果)を出すかという授業しかしていないようです。ネットの世界でも即答するヤツが神、疑問と答えの間に何があるのかを知ろうともしません。
理科の授業で「時間がないから先生が実験結果だけ授業で言っていた」という話を聞いて唖然としましたよ、そんなの理科じゃねぇだろと。テストの回答ならマルもらえるけども、自分で仮説を立てて体験して実証するという行為こそが理化学なんじゃねぇのと。時間がないのならいろんな工夫をして予定を立てるのという行為が算数でもあり、生活(科目)でもあるんでしょ?全てがつながってるんですよ。実験結果なんてどうでもいいんですよ、もしかしたら教科書と違う結果になる可能性だってあるわけでしょ?そこが理科の面白いところなんですよ。

子供に「勉強しろ!」というのは簡単ですよ、でもその指図に子供が納得するわけが無いじゃないですか、だって言う側は言ってるだけじゃん、言うだけなんて誰にだってできますから説得力はゼロなわけ。だから指図する側も同じぐらい面倒くせぇ事しなきゃダメ、勉強を教えるのは効率の良い解き方や答えを教える事だと勘違いしている先生が多いですけど逆です、効率の良いやり方に面白さはありません、だって効率の良いやり方を自分で見つけ出す事が面白いんですから。

世間はクリスマスイヴで浮かれておりますが、我が家は円卓囲んで宿題三昧。ですが、笑いのボリュームだけはどこのパーティにも負けません。