2013/09/24

おなじあなのむじな

今日はアイホンに関して書かせていただきます(注:機種名をアルファベットで書くと余計なアクセスが増えるのでカタカナで表記します)。

発売初日に行列作って、電話会社の社長も参加でカウントダウン、店員総出でバカ騒ぎ。申し訳ないがあれはイタすぎです。あの行列の中に真のアップルファンは存在していないと思います。
私も一応アップル製品を10年以上使っていますし、そこから携帯電話が発売される事を当時は心待ちにしていたものでした。今も使っている10年選手のG4(デスクトップパソコン)ですが、これを買った頃のアップルは高性能であるにも関わらずマイナーという特異な存在でした、メジャーになれない理由としてはウインドウズとの互換性に欠けるというのもありましたが、内部に日本製の機材を惜しみなく採用したり、筐体のデザイン性しかり「そこまでやらなくてもいいんじゃないの?」と言いたくなるぐらいのこだわりに満ち溢れ、ゆえに製造コストが増大して庶民には手の届きにくい価格設定になってしまったというのもあるでしょう。
ですが、そのクオリティがゆえ真のファンにとってはその価格の事を忘れ去られるぐらいの存在感と信頼感を得ていましたし、ウインドウズにはないOSの「変なクセ」がまたマニヤの心をくすぐり、なによりもマイナーである事がユーザーにとっての誇りでありました。

そこまで良い物を作っていても、結局は売上げやシェアを伸ばさないと企業はダメなのでしょうか?ある時を境にしてアップルは生産性を高めて「庶民のアップル」を目指して進むようになったように思えます、過去の半分以下の価格で汎用性の高い機種を次々と売り出し販売数は激増、ネットとメールだけの主婦でさえアイマックを使う状況にショックを受けていた頃にアイホンが発表されました。メーカーの作戦は大当たり、今までウインドウズだけだった人も電話ならばと買い求め、マイナーだったアップルはついに世界のスタンダードになったと同時に、過去のような強固なクオリティと個性はどこかへ消えていました。

その頃私がやっていた事は、ネットオークションで5年落ちの携帯電話の中古品を探して持込で機種変更(それも電話会社の都合で不本意で)していました。 もちろん今もそれを使用しています。

災害現場などでは1人の命を犠牲にしてでも別の9人が助かるのであれば9人の救助に向かうのだと思います、ですが人の命とは関係のない世界ならば9人に無視されても残りの1人にヒットするような事の方が人間として本当に必要なものだと思っています。量産品では売っている人間が豊かになっても、使っている人間を豊かにすることはできません。そういう事でしょ?

数日後に知った事ですが、発売初日に義兄が行列に並んでいたそうです…。