2011/10/06

海に浮かぶ雲は果てしなく白く

子供が帰ってくるまで縁側でボケ~っとしていると、ふと目に入った仏壇にある小さな写真立て。そこには母親の方のじいちゃんの写真が入っている。世界大戦でお国のために命を捧げ、ビルマで倒れた。俺が知っているのはそれくらいだけで、そのあまりに早すぎる死に自分にとって「じいちゃん」である感覚もほとんど無いほどだ。

生前撮ったその写真は当然モノクロなのだけれども、経年の色褪せがひどくもはやセピアとも表現できないぐらいで、じいちゃんの姿がかろじてわかる状態になっていた。このままでは写真がダメになってしまうと思い、その写真を店に持っていって高解像度でスキャンし、フォトショップでコントラストや彩度などを調整してオリジナルとまではいかないけど表情がわかる程度の所まで復元できた。それをプリントアウトしてオリジナルの代わりに写真立てに収めた、これで色褪せを遅らせる事ができるだろう。

こっちのじいちゃんてこんな顔してたんだ…復元中にディスプレイを凝視している時に初めて知った、今まで知らなかった、知ろうとしていなかった事が申し訳なくて仕方がなくなってきた。プリントアウトしたシートを写真と同じ大きさに切っているとき、俺は初めてこっちのじいちゃんと戯れていた、この人ともしっかり血と命ががつながっているんだ、俺の血の中には幾本もの命の鎖が繋がっている、そして今帰ってきた娘と息子にも。

写真立ての中に一枚の紙が入っていた、「戦死報告」…惨劇の結末が紙一枚、そしてその妻はそれを受け取った時どういう心境だったのだろう?宣戦布告をした張本人が命の鎖の重みを少しでも理解していれば歴史はかなり変わっていた事だろう。
まさかのデジタル技術で少しだけ若返り、始めましての挨拶を終えたじいちゃんの顔はほんの少しだけ笑顔になっていた。